それは「勇気がない」んじゃなくて、単に「慣れていない」だけでは?
昨日の
逃げ出す勇気のないあなたとは違うんです!
国家元首が逃げ出すような国なんだから、一般人が逃げ出したっていいよね - kなんとかの日記
という言葉で思い出した。
前からちょっと気になるエントリがあった。これね。
友達はオレの顔をじっと見つめながら、一言、
「だせぇ」
と言いました。ごちゃごちゃ言ってるけど、勇気がないだけじゃん
彼は言います。
言い訳をして、さも「こういう事情なんだ、だからしょうがないんだ」って言うけれど、
勇気がない自分を必死になって正当化してるだけじゃん、と。
ナンパする勇気もないやつが、出会いがないとか言うんじゃない。どうせナンパに行けば「ナンパで引っかかるような子は…」って言うし、
要は、勇気がないんでしょ? - Attribute=51
合コンにつれていけば「ああいう場のノリは苦手だし、そういうところに来る子と仲良くなれそうにない」とか言うだろうし、
社内のかわいい子を狙えって言えば「いや、彼女とは部署が違って交流がないし」って何かにつけて言い訳するんだろ?
だったら「自分には女の子に話しかける勇気がないんです」って素直に認めて文句言うんじゃねぇよ。
そっちの方が、よっぽど何かってときに力になりたいってと思うし、
つーか、できない理由並べて、今の自分を否定させずに、わかってもらおうとするその魂胆がだせぇ、と。
女の子に声をかけられないのは勇気がないだけ、というお話。そして、できない理由を延々と考えてしまう自分を反省するというお話。
なんかえらく共感を集めたみたいだけど、個人的にはこんなもの勇気でもなんでもないと思う。
女の子に話しかけられるかどうかなんて、単に慣れの問題やないか?
この話にでてくる『友達』は、何の気兼ねもなく女の子に声をかけられる人間だけど、じゃあ彼が本当に勇気のある人間かというと、そんなことはない。
彼がたとえば列車内で強姦魔を見つけたとき、それに立ち向かうような勇気を持っているかといえば、可能性は低いだろう。
参考:
あるいは、クラス中からハブられている友達がいて、その子と関わりを持つと自分もハブられる可能性が高いことがわかっていても、「いじめイクナイ」という信念からその子に話しかけるとか。
あるいは、会社ぐるみで行なわれている不正行為を、実名顔出しでマスコミに告発したりとか。
自分に被害があることがわかっていても、あえて正しいと思った行動をとるなら、それは勇気といっていい。
でもナンパする程度で「勇気」とか言われてもすごく違和感があるんだよね。
ようは、慣れてないことをするには誰だって抵抗があるってだけのことじゃないかな。
女の子に声をかけられないのは、勇気がないんじゃなくて単に慣れてないだけ。話かけることができる人に勇気があるわけでもないし、できない人に勇気がないわけでもない。
もちろん、「慣れてないことをするのが勇気だ」と言えなくもないけどさ、たかが女の子に話しかけるぐらいで「勇気」とかいう言葉を使ってほしくない。
「勇気」ってもっと重い言葉だよ。言葉の使いどころ間違ってるよ。
ただ、女の子に話しかけるだけなら勇気とはいわないと思うけど、好きな子に話しかけたり告ったりするなら、それは勇気だ。間違いない。