編集者は誰のために働いているか

元エントリが消えているので魚拓から。

ボクは、冠がある作家のために企画を通すとき、上司とどれだけ戦っているかを偶然目の当たりにしたことがあります。そこまで真剣にやっている人間を非難する人がいるなら、擁護する人だっていなければ公平ではありません。

橋口たかしのブログ:総括

これはきっとウソだな。こういう人間は、自己のためにしか動かない。この場合も、一見マンガ家のために戦っているように見えるけど、実は自分の担当するマンガ家をねじ込むことで、会社内における自分の勢力を広げようとしているだけだろう。それを、編集が自分のために戦ってくれている! と感激するのは間違いというか勘違い。この編集者にとっては、マンガ家は社内抗争のためのコマにすぎない。つまり、目的は自分の権力拡大であって、面白いマンガを世に送り出すことではない。

そもそも編集者って、マンガ家のために働くべきではないと思う。編集者もマンガ家も、まず読者のために働くべきだよね。両者の役割は違うけど、読者を楽しませるという目的については同じであるべき。それを忘れて、編集者が自分の権力闘争を目的としてはいけないし、マンガ家も編集者のために働くようになってはいけない。

今のサンデーはたぶんそうなってなくて、冠のような編集者は読者よりも「まつりごと」を目的とし、マンガ家のほうも、この橋口のような人間は力を持っている編集者に媚びる(または寄生する)ことを目的としているんだろう。こんな組織からはいいものなんか生まれない*1

編集者もマンガ家も、まず何のために働いているのかということをもう一回考えなおして欲しい。よく出版業界は斜陽産業だというけど、斜陽にしているのは自分たちが原因であって、理由を外部要因に求めるのは間違っていることに気づこう。


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*1:生まれるとしたら、これは一個人の卓越した才能とすさまじいまでの執念と多くの幸運が重なったとき。